岩上龍穂(りゅうすい)相談室

算命学やふと思ったことを徒然に~

終わらない歌

ブルーハーツさんの「終わらない歌」

 

私は、最初「歌が終わらない」という解釈をしていました。(基本、音楽は感覚で聞いているのでそんなに意味は考えていないという言い訳をしておいて)

 

「終わらない歌と言っても無限に歌う事は出来ないよなぁ」くらいの感覚で聞いていました。

 

でも、これ歌が永遠に続くという意味ではもちろんないですよね。

お気づきの方の方が圧倒的に多いと思いますが。

 

ブルーハーツさんの曲は、いろいろと気づかせてくれる事があり、また、勇気を貰える曲でもあり、昔からちょくちょく聞いていたアーティストの一人です。

 

https://www.youtube.com/watch?v=laRZR6AUvaU&list=RDlaRZR6AUvaU

 

先日、夕方のニュースに自死された方の事を報道していました。

いずれも学生さんです。

ニュースでは3人の学生さんの事をお伝えしていました。その中の一人は私の地元の方でした。(全国版のニュースでしたので、日本各地の方の情報の中でという意味です)

夏休みが終わり2学期が始まる時期は、やはり思い悩む方が多いです。

ちなみに、先日のお盆明けの最初の月曜日の早朝にも、地元の電車が人身事故で遅れていたそうです。それは、ニュースにはなりませんでしたが、私はたまたまスポーツクラブの受付で並んでいる時、後ろの中年男性がもう一人の方とお話しているのが耳に入ってきて知りました。

 

私は、ここで自死がいいとか、悪いとか言うつもりはありません。

 

自死は、一般論では語ることはできないと思っています。

1対1で話すことが大前提です。

その人その人で、事情や状況など様々です。

それを一般論にして「自死・自殺者(未遂者)」と名前を付けて語ることは結局対象者がおぼろげになってしまうように思います。

 

政府や支援機関が防止のために活動を行うことで議論するには、そういった一般論にしなければ、話が進まないこともあると思います。

それはそれで、いいと思います。

基本といいますか、ベースみたいなものが必要な事もありますし、それはそれで役に立つことも多いと思います。

 

ただ、そこから派生して「自死はダメ」とか言うのはやっぱりちょっと違うと思うんです。

 

悩んでいらっしゃる方が、目の前にいて「自死はダメです」とはなかなかすんなりとは言えません。

その方にとって「安らぎの道」「(視野が狭くなり)唯一の希望の方法」を根こそぎ他人が奪い取ることはあまりにも残酷のような気がします。

勿論、死にたいくらいに辛いということを「死にたい」と一言に凝縮していることも含まれていますので、そこも十分に考慮する必要があります。

 

 

私は、自分の判断がわからなくなった時、いつも守護霊様ならどうなさっているのかをよく考えます。

 

それを考えたからと言ってすぐに答えが出るものではありません。

ただ、何かの指針になる事はあります。

 

江原さんも、昔、自身の守護霊様にどうしたらよいか尋ねたことがあるそうです。すると

「ここで答えては、ぬし(主)の人生ではなくなる」との返答だったそうです。

 

ただ、間接的な「気づき」のサポートはして頂いているように思います。

ただただ見ていることは(その人の状況に寄りけりですが)あまりないような気がします。

 

しかし、そのような切迫した状況になるとご本人のアンテナの感度も相当落ちているため、気づきにくくなってはいると思いますが。

 

少し話が逸れますが、TV番組のオーラの泉で、千原Jrさんがゲストで来た時の話です。

Jrさんはよく、大きなけがなどをなさることが多かったそうです。

ちなみに、Jrさんは、過去世で自死なさっているそうです。

 

そこで江原さんが言うには、

「過去生のその年代(今生で大けがした年齢)で自死なさっているからです。大けがをして、命の大切さを学ぶ(思い出し、二度と自死なさらないように怪我をしている)為」とのことでした。

 

これに付随して、私自身が思う事が、今生において自分が歓迎される土地と行きたくてもいけない土地(地域)はあるなぁと感じていました。

 

私の場合は、北陸にはどうしても縁がありません。バイクツーリングなどで日本全国周ったり、その他旅行なども好きでよく行きます。

 

北陸はバイクツーリングで行こうとしましたが、台風が来ました。それでも途中まで行ったのですが、段々体が冷えて、休憩しても体温が戻らず、しかも、道の駅に寄ったのですが、台風のため人もいなく、売店も締まっていました。それでも、向かったのですが、とうとう心折れた瞬間があります。

山道の細い道路で前にはダンプカーが走っています。こちらはがちがちの体で視界も悪く、カーブでは滑らないようにと気を使いながら走っていました。すると、トンネルを抜けたカーブで、前をいくダンプカーが対向車と衝突してしまったのです。

ゆっくり走っていたおかげで、私たちは止まることが出来ましたが、ゾッとしました。

それで、友人と話して、やっと「諦めよう」ということになり、帰り路を走っていると、雨も止んで、少し暖かくなってきました。

「う~~でも、もうここまで戻ってきてしまったし・・・」と後髪魅かれながらも、さっきの事故もあるし・・・とそのまま帰路につきました。

 

北陸はそれ以来行く機会が全くありません。

(そういえば、長野に旅行に行ったとき、戸隠に行くため急きょホテルをとったのがたまたま新潟でしたが、そのホテルは・・・・重かったです)あまり快適とは言えず、しかも戸隠を回っている間もあまりいい事はなく、ずっと冷たい雨が降っていました。

 

過去生では、戦かなんかでここで亡くなったんですかね?

わかりませんが、とにかくあまりご縁がないなと感じます。

 

沖縄もあまり縁がありません。

 

行くには行けたのですが、飛行機は那覇空港に着陸する時に米軍の飛行機が油を滑走路い撒いてしまい、その処理に2時間?近くかかったため、ずっと空で旋回していた記憶があります。

 

当時は、飛行機に乗ることも初めてだったため、そんなに気にしませんでしたが、今考えるとあまりない事ですよね。

 

逆に、ご縁を感じるのは下関です。

 

ここではとても親切な方と出会ったりと良い思い出があります。

 

これは土地の話ですが、先ほどのJrさんの話のように、過去生で例えば20歳で肺結核で亡くなったとしたら、今生でも20歳頃に肺の病とか、呼吸器とかの病気になったりとか何かと弊害が起きやすくなるのかもしれないなあと感じました。

 

やっぱり、江原さんの話を聞くに、今生と過去生は繋がっているのだと改めて感じます。

 

だからこそ、来世を作るのも今生からだと思います。

 

罪(カルマ)について算命学の先生がおっしゃっていたことがあります。

 

罪は消えないけど、今出来ることは「徳」を積むことです。

 

例えば、今生、人を殺してしまったとします。

 

あまりに殺し過ぎると今生で病気になりますが。

この話をするとまた話が脱線しますので、また次の機会にでも・・・。

 

来世では、単純にそのカルマの消費のため苦しむ人生になるとします。

その時に、「徳」を積んでいると、苦しみの中に助けがあるという事です。(自分がしたことが返ってくるだけですが)

苦しみの中で、病院にいけるのか、それとも野原にいるのかはやっぱり違います。

生まれた国によっても全く違います。

 

だから、「徳」が大事だという事だと思います。

先生はそこまでおっしゃっていません。だから、聞いている受講生は罪が徳で消えると思う人もいるかもしれません。

だから頑張ると。

希望ですからね。

でも、カルマが消えないと教えてしまうとその努力すらしない人も出てくるでしょう。

だから、敢えて触れなかったのだと思います。

 

ちなみに、自死は自分を殺すという事で、これも殺人です。

 

体は自分のものではないというのが、インドのマスターたちの考え方です。あくまで、魂の住まう神殿。神からの借り物です。

 

さて、ここで質問です。

私は何が言いたいのでしょうか・・・。

自分でもわからなくなりました

 

 

このブログを読まれていらっしゃる方の中で、深く悩んでいらっしゃる方がいるのかもしれません。

どのようなきっかけでここにいらして頂けたのかはわかりませんが、ここに来ていただいたのは奇跡みたいなものだと思います。ただでさえ、幾多のブログやフェイスブックツイッターなどSNSがある中で、しかも、ここにたどり着くのはそれだけで奇跡だと思います。

私がお伝えしていることは、100%ではありませんし、むしろ、間違っていることも多くあると思います。

事実は証明出来ませんが、ご自身がお読みになってどう感じるかがとても大切だと思います。

 

身近に信頼できる方を一人でも見つけることが出来たら、あなたの勝ちです。

 

昔ジャングルで生き残りサバイバルをした旧日本兵さんの言葉です。

 

自分が生きるのに必要なものは半径200m以内に必ずある

 

と気づいたそうです。

 

きっと、あなたの周りにもいるはずです。

 

天中殺の方がトラブルに見舞われた時の対処方法は「人を介すること」です。

 

調子悪くなってしまったPCを治すのに、天中殺の自分がやっても同じエラーの繰り返しです。しかし、助けを求めると、その人のエネルギーが介入して「あれ?なおった」となる事が多いです。経験された方もいらっしゃると思います。

 

あとは、人を見極める判断と勇気です。

 

人の見極めは算命学で、自分の運のよい時期に出会う人、出会った人を参考にするのも有効です。

 

以前、自分のやりたい事に現実的サポートが役に立った人は、相性の面で運をあげてくれる人の可能性が大です。

 

むやみやたらに助けを求めると、傷つくことも多く、心が折れてしまいます。ここは戦略を練ってください。

算命学は古代中国の戦国時代に発展してきた学問です。

 

ただの占いではなく、生きるための活用方法を示してくれます。

 

算命学に限らず、きっと何かあります。

 

ご自身のペースで無理せず動いてみてください。

運命は「動き」の中にのみ存在します。

 

天体も動いています。日付が変われば、干支も変わり星も変わります。

 

動くために休んでください。

 

小学生の頃、登山の遠足の前に校長先生からのお話で印象に残っているものがあります。

登山をしていて、「もうきつい、ここが限界」と思ったところから、1歩進むとまた違った景色が見えてきます。その景色は、その一歩がなければ見れなかった景色です。そして、その1歩は、今までの自分を一歩だけ超えたことになります。そうして、一歩、一歩進んでいるうちに、大きな景色が見えてくることになります。きつい所から、ずっと先を見ても心と体はついていきません。だから、まず今の自分にできる一歩だけを考えるんです。その一歩は今までの自分を超えた、「新しい一歩、価値ある一歩」なのだから十分に味わいなさい。と。

 

どうせなら、今生で進めるだけ進んでおいてもいいかもしれませんね。

 

少しリラックスしてみると視野も広がるかもしれませんね。

 

最後にもう1曲

 Bon Jovi - Someday I'll Be Saturday Night

https://www.youtube.com/watch?v=8ZtPZueayXc